Le Samouraï (サムライ)を観た

寒々しく、埃臭そうな薄暗い部屋。ベッドに横たわり、静かにタバコの煙を燻らせる男。彼はやおら立ち上がると、トレンチコートを羽織り、ハットのつばをミリ単位で完璧に整えて街へ出る。最初に向かったのは、車の窃盗だった——。

ジャン=ピエール・メルヴィル監督、アラン・ドロン主演のクライムノワールの傑作『サムライ』(1967年)を鑑賞した。冒頭、主人公ジェフ・コステロが一言も発しないまま、大量の合鍵を淡々と試して車を盗み出すシークエンスから、一気にこの映画のミニマルな世界観に引きずり込まれてしまった。

徹底された「引き算の美学」と、好みな空気感

全体を通してセリフが極端に少なく、画面は常に青みがかったグレーのトーンで統一されている。この「徹底した静寂」がたまらなく心地いい。

特にシビれたのは、殺しの前に立ち寄ったタバコの煙が充満するカードゲームの部屋の気だるいリアリティ。経験した、盗んだ車を偽装するために向かったガレージで、おっちゃんと金と鍵を交わすだけの無言のやり取りだ。言葉に頼らないプロ同士の割り切った信頼関係が、あの短いシーンに凝縮されていた。

一方で、現代の感覚で見ると「おいおい」と突っ込みたくなる部分もある。暗殺現場のクラブで、目撃者であるピアニストの女性とがっつり至近距離で目が合っていたところは、思わず「バレバレじゃん!」と草が生えた。しかし、その目撃者といつの間にか理屈抜きで秘密を共有し、距離を縮めていくあたりは、いかにも外国映画らしいロマンと様式美を感じさせてくれる。

執念深く嫌らしい「警察のおっちゃん」の存在感

主人公ジェフのストイックなカッコよさと見事な対比を見せていたのが、あの執念深い警視だ。非常にキャラが立っている。

ジェフのアリバイを崩すため、下着姿の愛人の部屋に突撃し、紳士のフリをしながら「偽証罪で君の人生が終わるよ」とねっとり揺さぶりをかけるシーンの生々しい緊張感。ベラベラと喋りながら外堀を埋めていく彼の泥臭いエネルギーは、ジェフの「静」に対して完璧な「動」の天敵として機能していた。

【考察】ラストシーンが意味するもの

初見では少し整理が必要だったクライマックスの展開について、自分なりの解釈をまとめておきたい。

  • 1. 最後にジェフが殺した男は誰だったのか? 彼がクラブに向かう直前、豪邸で射殺したのは組織の仲介人だ。部屋に突然現れて次の依頼(ピアニストの暗殺)を命じてきたり、歩道橋で刺客を差し向けてきたりした黒幕の手先。完璧な仕事をしたにもかかわらず、警察にマークされたからという理由で自分を切り捨てようとした組織に対し、ジェフはまずプロとしてのケジメ(復讐)を果たしたのだ。
  • 2. なぜピアニストを殺す素振りをしたのか?(弾倉は空) これこそがジェフによる「完璧に演出された自決」だった。彼は自分を庇ってくれたピアニストに惹かれており、彼女を傷つける気は最初から1ミリもなかった(だから弾を抜いていた)。
    警察の罠を百も承知で店に入り、彼女に銃を向けることで、潜伏する警察に「自分を撃たせるように仕向けた」のだ。捕まって泥をすするくらいなら、殺し屋としての誇りを保ったまま死ぬ。そして自分が死ぬことで、「仕事は失敗し、殺し屋も死んだ」ということになり、結果的に彼女への組織の追及を完全に断ち切って守ったのだと思う。
  • 3. いきなり警察が射殺できた理由 警察が撃ったのは、証拠が揃ったからではなく、目の前で起きようとした殺人を止めるための「現行犯の緊急射殺」だ。あの嫌らしい警視はジェフが再び彼女を狙うと予測し、店内に大量の私服警官を配置していた。警察からすれば、容疑者が一般人に銃を突きつけたため、撃ち殺す以外の選択肢がなかった。ジェフは警察のその心理を完璧に利用したハメ技を仕掛けたわけだ。

総評:孤独な狼の「切腹」の儀式

冒頭に掲げられる「サムライの孤独ほど深いものはない…」という格言(監督の創作らしい)の通り、主君(組織)に裏切られ、逃げ場を失ったサムライが、自らの誇りと愛する者を守るために命を絶つ——あのラストシーンは、まさに銃を使った**「切腹」の儀式**だった。

アラン・ドロンの冷徹なポーカーフェイスの裏に隠された、あまりにも不器用でエモーショナルな美学。見終わった後の、あの寒々しくも美しい余韻は、しばらく頭から離れそうにない。

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